最近はペットの葬儀が多く執り行われています。人の葬儀となると、何かとお金はかかるけれども、ペットの方はお金のほかに手間暇がかかるけれども、それを惜しまず葬儀を希望する人がほとんどです。

葬儀とは別の別の面からアプローチしてみたいと思います。

普段の暮らしぶりについて。
人同士お互いに意志疎通はできます。言葉やしぐさ、ジェスチャーな顔の表情。いろいろな情報から相手の気持ちを捉えることができますが、本当に仲のいい人間関係を築いてる人は少数です。

それどころか、仲たがいしながらも一つ屋根の下で生活している人たちもいます。
そんな相手が亡くなった時に、「こんなやつにそんなにお金使ってまで葬式なんかしたくない」と、普段から思っていることが爆発したりもします。

しかしペットはどうでしょう。
言葉も言わないし自分の気持ちを分かってくれてるかどうかもわからない。

ペットの気持ちも、腹減ったとか眠いとか、生命の維持以外の気持ちはほとんどわからない。しかし人間と違うところは、余計な知恵がないところです。

結論を言えば、ケチなことは言わない。皮肉も言わない。餌をほしがるなどの、したいことはすぐに要求する。

これらをまとめると、前向きに生きている ということが言えましょう。
成長することを意識しているわけではないでしょうが、人間に例えると、人間が前向きに生きるということは向上心があると言えますし、その目標の先には希望が満ち溢れている とも言えます。

人間、皮肉を言われるととてつもない不快感が心の中に生まれます。
けれどペットにはそのような意思はありません。

つまり、少なくても不快感を与える存在ではないということです。
もちろんペットの中には毛が抜けたりして衛生的に不快感を生ずるようなこともあるでしょうが、人生のパートナーとして一緒に過ごすことを決めた飼い主にとっては大した手間ではないでしょう。

何より愛情込めて育てれば、飼い主からすれば、毎日ともに生活していく中で何度も心が通じ合う実感も生まれ
たりするでしょう。

そんな毎日の中でも、パートナーとの永遠の別れの時は必ずやってきます。
日々の暮らしの中で積み重なった心の思いを伝える最後の機会であるペットの葬儀に注目がいくのも当たり前で
しょう。

しかしペットと宗教は実はあまり縁はありません。
人が生み出し作り出した宗教は、まず人のために作られたもの。
\しかし同じ生きとし生けるものどうし。

自分よりも大切にしたい相手に最後にしてあげられるお世話でもあります。
宗派についてはペットに対して特別な決まりはありません。ただ、人との区別はつけております。

その代表的なものの一つがペット霊園です。
惜しむ気持ちもとても強いかとは思いますが、いるべきところに送って差し上げるのも愛情の一つです。
そして葬儀については自分の持つ宗派にこだわらず、ペットを丁重に弔ってくれるところにお願いするのが一番でしょう。

そして永遠の別れ際でさえも、飼い主の成長を促してくれるペットであることも忘れないでください。

それは、例えば生きている間たくさんの思い出を一緒に作ってくれてありがとう という感謝の気持ち。そしてペットへの最後の時に際してのお別れの場を設ける思いやり。これこそ人間が人間として成長していくために欠けてはならない気持ちではないでしょうか。

生きとし生けるものどうし、区別しなければいけないところもありますが、相通じるところもあるものです。

ただ拝めばいいんじゃないの?と気軽に考えるそのような組織や団体よりも、きちんと心を込めてお別れの場を
用意してくれるところを、普段から検討しご縁を結んでいただくことをお勧めします。