最近はお坊さんが出演するバラエティ番組も出てきて、お檀家さん全員に語り掛ける法話のようなことばかりではなく裏話めいたエピソードも聞けて、番組の人気も高まってるようです。

ですが裏話となると、寺によって事情はまちまち。お坊さんの給料も変わってきます。

知り合いのお寺のお坊さんにその点について話を聞くとなると、やはりダイレクトに給料の金額は聞きづらい(笑)。そこでその考察の手掛かりになるところから話をしてみましょうか。


お坊さんはサラリーマンと一緒?!


「坊主丸儲け」なんて言い方があります。お布施がそのままそっくりお勤めしたお坊さんの懐に入るということから。しかしそんな生活形態も遠く過去の物。

今現在、個々の寺単位で宗教法人という名称がついているところがほとんど。
その寺の宗教活動における収入はすべて、寺の収入となります。

寺の収入とお坊さんの収入は同じではありません。
会社勤務のサラリーマンのようなもの。宗教法人○○山○○寺に勤務する僧侶という感じです。

普通は庫裏といって、寺という建物にくっついている住まいで生活しています。
しかし最近では、庫裏に住むのは住職。
その息子であり弟子でもある副住職やお手伝いをしている僧侶は別のところ、例えばアパートなどで生活して、生家でその寺に時間になったら出勤。
時間が来たら帰宅なんて生活サイクルにしているところもあるようです。

もちろんアパートやマンションに住んでる僧侶は家賃は当然支払うでしょうし、そうなると経済力がそれくらいはないとそのような生活は営むことはできません。では僧侶個人の経済力はいかほどの物か・・・。


大きい収入その1:まずはお盆から考察


これは寺によってまちまち。地域によってもまちまち。しかし前述のとおり手掛かりはあります。
それは収入につながる宗教活動。

宗教法人の収入が大きくしかも安定しているならば、法人からもらえる収入も比例して多くなるでしょうし、納める所得税も高くはなれども、手元に残る金額もそれなりに高くはなるはず。

有名な人になると専門書を出したり講演会の講師を依頼されたりで、給料とは別の収入もあるでしょう。まぁそれはおいといて。

宗教活動に絞って語るならば、法要が真っ先に挙げられます。
お檀家さんからの依頼のみならず、地域のお祭りでの法要などがあるとそれも法人の収入となります。

生々しい話になりますが、命日だの年回忌の法要だのもそうですしご葬儀のときにもお布施は納めていただきます。
お彼岸やお盆などの仏教行事でのお布施もそう。

お釈迦様の誕生日である四月八日の花まつりもしっかりと執り行うところもあるでしょう。
ですが、例えばそのお寺に所属している僧侶は、年老いた方一人だけということになるといちいち行事のお知らせを
することも一苦労だったりすれば、行事を中止することもあったりします。

ということで、前置きが長くなりましたがあくまでも一例として、ほかの例もあげながらここから先考察に取り組んでいきます。

お盆は基本的に、僧侶が一軒一軒お檀家の家を訪ねお勤めをします。
全ての檀家の家を訪問する寺もあれば、一部の家しか訪問できないというケースもあります。お盆のお布施についてもそこからまちまち。お盆は七月と八月に執り行われますが、それぞれ13~16日のお昼まで。しかし全ての檀家を回るためにそれぞれの1日からまわり始めて16日までというところもあれば、13日から、20日盆と言われるので20日までまわってますという寺もあります。

足腰が悪く、とても無理という寺もあったりもします。

ですが檀家の数からの影響は大きいです。
例えば8月のお盆だけで終わらせるお寺の場合、訪問の割り当てが200軒くらいだとすれば、活動する時間が午前7時から夜8時までだとすると、お昼の時間をなしにして13時間。丸2日で26時間。最後の日の昼までだと5時間で31時間。31時間で200軒を訪問しなければいけないわけです。

1860分を200等分すると、一軒当たり9分とちょっと。檀家さんの家は隣同士になってるわけではありませんから移動時間込みとなります。普段の年回忌などではゆったりとお勤めして、お勤めの前後に法話をする方もいらっしゃいそれに比べて、移動時間込みで9分。唱えるお経の中味はその仕様になってますからとてつもない早口とわけではありません。そのため早口で早く終わって粗末にされたという印象はない・・・とは思いますが、一例ですから(笑)。

それでも時間の差は圧倒的に違います。
そのためにお檀家さんはおそらく、同じ額のお布施ってわけにはいかないよななどという心理が働くこともあるかもしれません。比較すると10倍違うこともあります。

さて、その差の分を考え、そして実質的な数200軒をかける。それがお盆の時の収入となります。
しかし収入そのまま寺の利益にはなりません。お檀家さんの方々がお参りされた後のいろいろな片付けや掃除にいろいろ費用がかかります。

忙しくなければ寺の人間の手でできる仕事かもしれませんが、そうはいかないこともあります。
業者に頼んでそうじしてもらうところもあったりします。

檀家数が多くなればなるほどそれなりに収入は増え、少なければ収入が減るどころか、僧侶をしながら別の仕事に就く人もいます。中にはサイドビジネスに力を入れる人もいるでしょうね(笑)。


大きい収入その2:葬儀についての考察


さて、収入の件について語りましたので、ついでに高いという評判が多い葬儀について。
高いと言われても、それは葬儀だけしか注目してないからかもしれません。

亡くなった時に執り行う枕経。
その後の順番をあげると、入棺(納棺)、通夜、出棺、葬儀、取り越しの法要、火葬場の荼毘式。葬儀一連の法要は7つもあります。事情によりすぐにお墓に納骨となると8つ。

それらをまとめた分をお檀家さんに「目安」としてお伝えします。

檀家数が多ければ、それなりに法事も多くなるし、お布施はとらなくてもいいんじゃない?と考える人もいるでしょう。そこで言いたいのは、お布施はお布施であって「価格」ではないのです。

布施行と言われる仏道修行のひとつ。
堅苦しく考えると、お彼岸の期間中にこの布施行を含む修行を修めることで極楽浄土に近くなる、仏様との距離が近くなるなどと言われます。

その布施行の中の一つがお布施ということなのです。
つまりお坊さんの収入云々という話題のレベルではなく、仏様との距離が近くなるように、功徳を積むための行ということです。

でも何を基準にして金額を決めたらいいかわからないという不安や心配に、少しでもそういった心が穏やかになっていただくために具体的に金額を伝えるのです。そしてその金額は「価格」ではありませんし、その金額だと今後の
生活がままならないという心配を生じさせてはいけません。

仏様との距離を近くして、親しみも感じていただくなら当然不安や心配を解消するように寺側は努めないと、あとでどんなクレームがどこからつくかわかりませんし、きちんとした理由もなければ、極楽浄土にいらっしゃる仏様の意義を正確に伝えづらくもなりますからです。

ちょっと話はずれましたが、布施行というと、施しという文字が付く。
お金じゃなくてもいいじゃないかなどと思う人もいるかもしれません。相手にとって必要な物で価値の高いものはどんなものか、役に立ちやすいものはどんなものであるか。

そのように相手の立場に立って考える思いやりの心を養うお手伝いの役目があるのではないかとも思います。
昔は畑で採れた野菜とかを布施にした時代もありました。
お金よりも物の価値が高く、お金の制度がいきわたらない地方ではそのようなことが主流であった話も聞きます。
物もお金も持ってない人はどうするんだ?と思う方もいるでしょう。だからこその「目安」なのです。


例え話をしましょう。
お金を持ってない人が葬儀をお願いしに行きます。
「出せる金額は一万円だけです。これでお願いします」と依頼します。お坊さんは「それでいいですよ。問題ありません。葬儀を執り行いましょう」と通常のことを言わずに答えたとします。その人は安心するでしょう。

後日別の家から葬儀の依頼がありました。「お布施はいくらくらいがいいですか?」と聞きました。お坊さんは「これくらいを目安にしています」と答え、「それなら問題ありません。お願いします」ということで葬儀が執り行われました。


さらにその後、先の人と今の人が会話をしたとします。「うちは一万円でやってもらったよ」それを聞いた後の人は、「え?!うちはこんなにお布施に出したよ。どういうことだこれは!」ということで寺に文句を言いました。


もし最初の人にお坊さんが「これくらいが目安になってます。けれどそれだけしか出せないというのならいいですよ」と言ったどうでしょう?
「ほんとはもっとかかるんだけど、一万円でやってもらった。助かった」という気持ちも出てくるでしょうし、意地悪い言い方をすると「一万円でやってもらっちゃったー。え?お前んちもっと払ったの?なんかうち、得した気分」なんて気持ちも生まれてくるかも。こんな気持ちで納めるものは「お布施」ではありませんね。「お布施」という言葉はただの飾りです。修行なんてとんでもないことです。

しかしだからといってお坊さんは「お前に修行させてやってるんだぞ」などと高飛車な気持ちでは言わないはずです。なにせ目の前には、大切な人を失って平常心も失った方がおられるのですから。それでも高飛車な気持ちのお坊さんがいるなら、修行をもう一度やり直していただきたいなとも思ったりもしますが、それはどこかに置いといて。


いずれその言い方で依頼する側は、今後の生活費が減ってしまうという心配はなくなるはずです。
そうなるとその地域に住んでいて働いている方々の経済力・・・都道府県単位あるいは市町村単位での経済力にも関わってくるでしょう。具体的な金額を挙げない理由はそこにあります。

それと、あそこの地域の葬儀は安いからということだけで依頼されても、寺側からすれば困ることが多すぎます。
その後のご供養をどうするつもりなのかその地域と縁が薄ければ自然と足が遠のき、それは無縁仏につながる第一歩にもなります。お墓が傾き、それを修繕するのはお墓の持ち主。けれども無縁のため、誰に連絡していいかわからない。勝手に動かすと、なぜ勝手にそんなことをした!というクレームがどこからか来る可能性もあります。

ここら辺のお話は機会がありましたらするとして・・・



報酬は「報い」である


まとめさせていただきます。
給料は報酬です。それは「報い」であり、いいことをすればそれなりの、悪いことをしてもそれに応じた報いが必ず来ます。まさしく因果応報ですね。

給料が高い人には、それなりの仕事ぶりをしたから。その仕事ぶりは、質のいい仕事をしたということ。
すなわち、失敗したらどうなるか・・・その失敗を避ける努力をし、成功する努力をしたその責任を果たしたということでしょう。

日頃思うのです。
学生時代は些細なことでもほめられます。
私事ですが、虫歯が一本もないということだけで二度も、全校集会で校長先生から表彰状を受け取りました。

社会人になったらどうでしょう?
ニュースで見る褒章や国民栄誉賞。簡単に手にすることはできません。
けれども世の中、頑張ってる人たちはたくさんいます。

そんな人たちに贈られる表彰状の一つが給料というものではないでしょうか。
その褒章が無駄に減らされることなくそして心も豊かにするものと言えばそれこそ心の修行ではないでしょうか。
そのための布施行。そして寺側の人たちにもそのことを心に留めていただき、言葉一つ説明するにも相手の気持ちを思いやりながら、依頼される方々とのご縁を大切にしていただきたいものと思います。