お葬式を執り行うときのご遺族の心境は、大切な人を失った失望感やこの人なしで今後生活できるかどうかという、心配。そして法律上の手続きに手落ちがないか。もしあったら法律違反にならないだろうか?という行政方面での心配。亡くなられた方が入院とかしていたら、それまでかかった費用の支払いなどの金銭面の心配など多くの悩みがあるかと思います。

そんな悩みを抱えていたら、疲労困憊どころではありません。

さらに葬祭会場を利用するとなるとそちらへの支払いや、お寺に葬儀の依頼をすると葬儀のお布施だの戒名料だの、費用がさらにかかります。

戒名に院号をつけてほしいという希望を持つなら、これに院号料が加わります。

何で院号をつけるとこんなに高いの?安くなんないの?と不満を持たれる方もいるでしょう。
そこらへんお寺に聞きたくても何となく聞けないという人もいると思います。

高いのは、それなりに理由があるからです。


院号のヒミツ


戒名料って高いよな。
坊主丸儲けでいいなぁと言いますが、こればかりは反論しなければなりません。

戒名料が高くなる理由は「院号」の存在です。
院とは、建物を意味する言葉。病院、書院、養老院、美容院もそうですね。
そしてこの場合は寺院のことを指します。

寺に対して大きな貢献をされた方に付けられる戒名の一部分です。

寺に対して大きく貢献というところが重要なのです。
たとえば寺を建てるときに、建築のための資材を提供したとか建立の現場で先陣切って動いて労働したとか。
建築費用を率先して誰よりも多く出資したなど。

あるいは先祖供養とは全く無関係で、定期的に金銭面で援助し続けたとか。とんでもない貢献度です。その功績を讃える意味で寺側からの褒章の意味もあります。

ですが建築が終わり落慶式も終わり、普段の日常に戻ってからの寺への貢献はどのようなことがあるでしょう?
その機会はほとんどありません。お檀家さんが自ら思い立って金銭面で貢献しようということもほとんどありません。

それはそれぞれみなさんも思い当たる節はあるかと思います。
普段の日常会話で、寺やお墓の話題となると、突然そんな話題が出た時にはなんとなく気味が悪かったり縁起が悪いなんて思いが生まれないとは言い切れないはずです。
ましてや自分らの生活費そっちのけで寺へ貢献というのもどうなんだ?という思いもあるでしょう。

そんな毎日の中で突然家族の一人が亡くなり院号を求めたとしても戒名は必ずつけるとはいえ、寺側からは院号を授ける理由がないのです。
そこで苦肉の策として、寺に大きく貢献しますよということで院号料という考え方が生まれました。

院号料って高いよねという感覚は、本来は逆なのです。そして院号をつけなければいけない理由というのは、ほとんどの場合は存在しないのです。

建物を意味するということから、世帯主が生家を離れて独立し、一家を成して子供や孫、そして曾孫まで立派に育てたなんて場合、この人がいなければ我が家は存在しなかったと言わしめるほどの生涯であれば、寺に対しての貢献は目立ったないけども、ご自身個人のことをそっちのけで家族のためにがんばって生きてきた証のようなものとして院号を授けましょうということはあるでしょう。

もちろんその場合も院号料を求めることになりますが。

そういう観点から、院号をつけなさい、院号料はこれくらいですからお願いしますよと寺側から言い出すのはちょっと問題ありかなとは思います。

寺側の人間も、戒名について、そして自らの仕事についてしっかりと省みてほしいと思います。
宗教を軽んじる風潮は、そう思っている人たちに原因はありますが、その人たちが納得させることができるほどの知識や知恵、そして生活ぶりをしていなかった寺側にも問題があり、双方とも考え方を改める必要があるとは思います。


仏様なしの寺はない


さて、寺に貢献についての話をしてきました。
大事なことを忘れてはいけません。それは、寺は仏様と密接に関係していることです。
仏様の教えを多くの人に伝えることがお坊さんの役割です。その役割をしっかりと果たしてもらうための環境づくりも必要ですが、その環境づくりを仏様と一般の人たちとの距離を縮めて、より強いつながりを持っていただく機会にしたわけです。

この考え方や実践はお釈迦様の時代からありました。
あるお金持ちの人がお釈迦様の話を聞いて、この方々のために土地を提供したいと考えました。
土地を見つけたはいいが、その土地の所有者はその国の王家のもの。土地を譲るように申し込んだその返事は、持っている金貨を地面に隙間なく敷き詰めたら、その範囲を譲る というものでした。まさかするわけがないだろうと高を括っていたら実際に敷き詰め始めたので驚いて、そこまでしなくてもいい ということで、お釈迦様のためという理由でもあり、そのお金持ちの人とともに資金、資材を提供してその場所が作られました。

祇園精舎の物語です。

院号料ってお寺の収入が増えるんでしょ?そんな考えに囚われてばかりでは、いつまでも不平不満が続きます。

そしてこの日本は幸いにも、信仰の自由も謳われています。宗教を肯定する人否定する人、いろんな人に伝えたいことは、毎日過ごす中での不安を少しでも減っていけば世の中さらに良くなるんじゃないかなということです。
その減らす機会をどこで見出すか。

その一つが、仏様とのご縁を結ぶこととして、ここに一例を挙げてみました。

日頃からそのようなことについて関心を持つことが仏様とのつながりを強くし、自分がお別れする立場に立った時には仏様と遺族の方々ともご縁を強く結び付けられることにもつながります。

院号について考えることもそう。
つけるもよし、つけなくてもよし。

末永く心穏やかに仏様に手を合わせられる日々を送ることが何よりだと思います。

戒名3万円「戒名の会」宗派不問