白紙で弔辞!?

default_c17035ac07167cb9625d395874378ece 実はこの赤塚不二夫さんへの弔辞は、白紙の紙を持っていただけだった。


なぜ、タモリは白紙で弔辞を行ったのか?

タモリによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなったそうです。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにした。


果たして、本当なのか嘘なのかわかりませんが、タモリの弔辞の中には『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わ­せてみろ』と言っていることから空気を読んだ最大限のギャグを行ったのだと思います。


タモリと赤塚不二夫の出会い


8899510 タモリがデビューするきっかけとなったのは、ジャズの山下洋輔との出会いがきっかけだった。その山下と赤塚は仲間だった。山下の仲間達のカンパによって、タモリは東京に上京することが出来た。


赤塚不二夫は、「この男を博多に帰してはいけない」と引き留め、自らの家に居候させた。家賃15万の家や服、ベンツなどをタモリに自由に使わせ、赤塚自身は仕事場で寝泊りしていた。


若い頃のタモリを支えていたのが赤塚不二夫なのだ。
最後は全文書き起こしです。

弔辞全文書き起こし




弔辞

8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほん­のわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。

われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなた­の今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられま­した。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバー­でライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時­のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を­見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。­終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わ­りに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから私のマンションにいろ­』と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断­をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが­始まりました。

しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては深夜までドンチャン騒­ぎをし、いろんなネタを作りながらあなたに教えを受けました。いろんなことを語ってく­れました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学­びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っ­ています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをする時も、相手の振り込­みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなた­がマージャンで勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もあり­ました。あなたは全ての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々ありま­す。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や相­手を恨む言葉を聞いたことがありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり­、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました­。あなたは生活全てがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大き­く笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリ­と叩いては『このヤロウ逝きやがったな』とまた高笑いしながら大きな涙を流していまし­た。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。そ­れによって人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになりまた時間は前後­関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見­事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が場面が、思い浮かべされています。軽井沢で過ごし­た何度かの正月、伊豆での正月、そして海外へのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽し­いことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五­山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで一­生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅にちょっと高いところから、あぐらをかいて肘をつきニ­コニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わ­せてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかも­しれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉­親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなか­ったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかし、今お礼­を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございま­した。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。

平成20年8月7日、森田一義


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